こどもの日

今日は、こどもの日。

とりあえず習慣として、柏餅を食べ、菖蒲湯につかった。

ところで、こどもとは何歳までを言うのだろうか。新聞などで日本の15歳未満のこどもの人口がどうのこうのといったことが書いてあるので、14歳までがこどもなのかな。

こどもは国の宝とか地球の宝とか言うけれど、最近はどうもこどもが社会の中で大事にされていないように感じることがある。参政権のないこどもにとって不利な政策がまかり通っているようにも思う。

少子高齢化が進めば、当然ながら有権者に占める高齢者の割合は高くなる。しかも、若年層は政治に対するあきらめ感からなのか、投票率も低い。そうなれば、各政党が高齢者優遇の政策を掲げて票を獲得しようとするのはあたりまえだろう。

もちろん、つらい戦争を経験してもなお、そこから立ち上がって戦後復興〜高度経済成長を担い、今日の日本を築いてきたのは現在の高齢者だし、彼らにたいして相当の敬意を払うべきだとは思う。しかしながら、それは日本と世界の未来を託すべきこどもたちを犠牲にしてまで優遇する、ということとは違うと思うのだ。

政策の話とは関係ないが、私の自宅の裏は「こどもの遊び場」と名づけられた公園(地権者は自治体ではないが、市が委託管理をしている)なのだが、以前草地だった公園がある日突然整地されてしまった。市の公園課に問い合わせたところ、町会から「多目的広場」として整地したいとの申請が出ていて許可したとの返事だった。しかし「多目的広場」とは名ばかりで、実質的にはゲートボール場と化してしまったのだ。毎週土日の午後には、大人が我が物顔でゲートボールを楽しみ、こどもたちは隅のほうで小さくなって遊んでいる。しかも公園内に自動車を乗り入れたりとやりたい放題だ。

町内は高齢化が進み、発言権と金を持っているのは高齢者たちだ。こうして見ていると、今の高齢者たちが皆、政策的保護をうけるべき社会的弱者だとは到底思えない。少々穿った見方をすれば、ものを言えないこどもたちの権利を、高齢者がその経済力と権力で奪っているという構図にも見える。

なんとかもっと、社会全体でこどもたちを大切に育てられないものだろうか。