大晦日

 今日はもう大晦日。年越しそばは食べた。紅白は見ていない。明日は新年と言っても、スーパーは10時にオープンするらしいし、昔のお正月とはずいぶんちがうように思う。

 ところで、今日のfinalventさんの日記に「人生というのは思い通りにならないものだが」というエントリーがあったのだが、それについて少し自分も考えてみた。

 たしかに「思い通りにならない」というのは、過去の自分が持っていたそのときの「思い」の通りにならなかったという経験に基づいた言葉なのだろう。未来のことはわからない(推測でしかない)のだから。そして「思い通り」に生きることが幸せだとも言いきれない。
 finalventさんの日記へのコメントにも書いたが、最近私は「情報」を思い通りに入手できる今の世界というものに、いささかつまらなさを感じている。「思い通り」ではない「偶然」とか「意外性」というところに人生の面白さがあるのではないかと思うからだ。
 しかし、そうした考えを自分が持つに至ったのも、考えてみれば過去の自身の体験によるものだということは否定できない。それも端的に言えばひとつの恋愛体験だったりする。そこから自分は世の中の価値観の多様性というものを自然なことだと考え、面白いとさえ思えるようになったのだ。だからひとつの価値観を他人に押し付けるとか、押し付けられるとかというのは最も自分にとって耐え難いことだったりもするし、運命共同体的な組織の中で仕事をすることに意味を見出せなくなったのも、そこから来ることなのかもしれない。
 そういえば昔、なりたい自分像というものを考えたりしたときに思いついたのは、ルパン三世次元大介だったり、ガッチャマンコンドルのジョーだったりした。つまりチームだとか正義だとかに煩わされずに、自分の生きたいように「思い通り」に生きることに憧れていたとも言える。

 最近は、考えたところでわかり得ないものというのは数多くあるのだろうと思っている。だからと言って考えることを放棄するつもりはないのだが。ただ、なんとなくそうかなと思うようなこともあるにはある。たとえば、自分の心の中の奥深くのそのまたずっと奥は、宇宙の果てのそのまた果てと通じているというのは、もしかしたらあるかもしれないなとか、そういう他愛もない話だけれど・・・