太陽、月そして宇宙に思いをめぐらす。

昨晩はアカデミーヒルズ六本木ライブラリーでライブラリートークを聞いてきた。
「天空を視る・歴史を辿る・宇宙に遊ぶ」というタイトルだった。

ライブラリートーク詳細はブログのエントリーに譲るが、ひさしぶりに天文・宇宙の話を聞いて、天空に思いを巡らせた。思えば、思春期のころに天文・宇宙に興味を持ち始めた頃から自分の人生観、世界観みたいなものが大きく変わったのかもしれない。「大宇宙にくらべれば、人間界は超ミクロな世界なんだ」と思い始め、あまり細かいことが気にならなくなった。大きな自然・宇宙に身を任せる(私は宇宙は原理ではないと思っているし、そもそも宇宙の起源にはカオスが存在したと考えているので、根源的な秩序みたいなものにしたがうという意味ではない)という生き方は悪くないと思う。そんなところから、良くも悪くもスーパーオプティミストの自分ができあがったのかもしれない。

そもそも銀河系宇宙の中に太陽が生まれ、地球と言う惑星ができて、さらにそこに生命体が誕生したのは、いくつもの偶然の重なり合いによるものだとされているのだ。そんな中で、地球の歴史からすればほんとうに生まれたばかりの人類が「原理」だの「真理」だのを追究しようとするなんて、おこがましいことだと思うし興味はない。もしこの世に唯一絶対の真理があるとすれば、それは「唯一絶対の真理は存在しない」ということぐらいだろう(もちろんこれを証明も反証もできないし、その点を議論するつもりもないが)。

まあ、人の一生なんて長くても100年くらいのもんだから、自分は明らかに半分を過ぎてしまっているのだが、いままでやってきたことも含めてずっと「コミュニケーション」というものを考えてみようと言うのが、現時点で思っている自分のライフワークだ。
無限とも言える組み合わせの中から偶発的に地球に生命が誕生したのだとしたら、何か今の世に新しいものを生み出すためには、少しでも組み合わせの数を増やして「偶然」にめぐりあえる可能性を高めなければならない。超ミクロの人間ひとりの力なんて高が知れているわけで、1+1>2の力を生み出す組み合わせを求める「コミュニケーション」というものは重要だと思う。

世界とか宇宙とか世の中とか、偶然何が起こるかわからないから面白い。全部わかってしまって、何事も必然だと思えるようになってしまったら、きっと人生はつまらないだろうな。と私は思う。